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Tilt up for the love shot

2023/01/21 –––> 02/04

Tilt up for the love shot

この度WALLAでは紺野優希企画、ジン・ヨウル個展「Tilt up for the love shot」を開催いたします。


会期:2023.1.21(土)- 2.4(土) 会期中無休 ※会期を変更する可能性がございます。 最新情報はWALLA公式HPをご覧ください。

開場時間:11:00-17:00

料金:入場無料

会場:WALLA 〒187-0042 東京都小平市仲町615-29 JR 新小平駅より徒歩20分 西武多摩湖線 一橋学園駅または青梅街道駅より徒歩10分

出展作家:ジン・ヨウル Jin Yeowool 진여울

主催・主管:ジン・ヨウル

企画・文章:紺野優希 Yuki Konno

デザイン:キム・アルムナレ

告知・サポート:WALLA

プレスリリース Tilt up for the love shot (PDF:407KB)


展覧会概要

 本展のタイトル「Tilt up for the love shot」とは、二つの意味として考えられる。ラブシーンを撮るために下から上へカメラを構える(=ティルトアップ)こと、それとプロポーズ(=ラブショット)のためにグラスを傾けるとして解釈できる。ジン・ヨウルは絵画が愛を描く際にどのように描け、また描けないのか考えながら、制作を続けている。愛は「シーン(場面)」として捉えられるのか、それとも「プロポーズ」のように期待と不安に満ちているのか。絵画という表面と枠に、愛は収められるのか。収められたなら、対象化されて愛というより愛する「もの」になってしまうのではないか。だからといって、内に秘めた気持ちも現すことがなければ、相手に捉えてもらえないだろう。愛を表現すること——愛していると表現すること、気持ちとして露にしないこと、表現がパターン化され愛から遠ざかってしまうこと。愛の捉えづらさと捉えやすさを絵画に、そして暮らしの営みの中で考えることにつながるだろう——そのような「一撃(ショット)」として。


愛というもの/愛と言うものについて

愛はどのように表現されるものか。「愛してる」という言葉で、私たちはよく愛を表現する。愛を表現することは対象と主体、恋愛関係でいうとあなたと私の間で生まれる身振りだ。身振り、それは行動と呼べるものに先立っている。愛している=恋をしているということは、「あなたに」(しかし、あなたではない)「私が」することだ。この身振りは対象という目的地と私という出発地との間で起こり、一つに収束しきれないものだ。その間で動き響き渡るとき、愛は相互的でも、一方向的でもある。一時に過ぎず、でもどんなものより強烈で猛烈なもの。成就することもあれば、悔しさや諦める気持ちとなって残るかもしれないもの。それほどまでに明確な心と不確実性が互いに寄り添い、共生しているもの、それが愛だ。私たちが「愛してる」という言葉を内々に、または相手に実際に「かける」時、もしかすると「賭け」のように私の運命を果敢に任せたり、まじないを「かけること」と同じなのかもしれない——これほどまでに切ない気持ちをずっと抱えていたいし、そう続いてほしいと願う、そんな言葉。

「愛してる」という言葉を相手に(二つの意味で)かける時、その対象は確かに存在する。そばにいる時も、遠く離れている時も同様だ。愛を語りかける言葉は、時空間を超越する。その対象——目的語/目的地はここに来ていたり、まだ来ていない時にも、私の前、そば、横にすぐやってくる。「君を愛してる」や「あなたのことを愛してる」という表現のように、目的語を入れて示すことはそれほど重要ではない。私たちが(「その誰か」や「それ」を)愛してると言えば、その対象は私の近くに存在している。その言葉をかけるやいなや、目的地/目的語に到達するという目標は一次的に達成される。しかし、この成就は内面の確実さを示し表現してはくれるが、相手の返事が得られないと不確実性として残ってしまう。そのせいで、私たちはしばしば不安になり、相手が同じように言ってくれることを願ってこう聞き返す——「愛してる?」今日、共感という反応は人を不安から救ってくれる。チャペルで切実な祈りを捧げる人の声は、SNS空間の掲示物や個人アカウントとやりとりするメッセージで話を聞いてくれる=反応してくれる対象が現れたことで、今となっては寂しく響くことはない。しかし、そこで愛が成就するかは別の問題だ。愛が存在するところが、懺悔の場/告解の場にはならないからだ。

私がこれほどまでに愛する対象から、私のかける言葉と同じ答えを聞くことができれば幸せだろう。私と私ではない、でも私が一緒にいたい人が私から離れないことを願う気持ち。愛する(恋をしている)という言葉は、行動あるいは状態を指す言葉なのか。その両者を同時に含んでいる。「サランヘ(사랑해)」や「愛してる」という言葉も表現もそうだ。だが韓国語で言う「サランヘ」は日本語より比較的ニュアンスが軽い。感覚的に、「大好き」と訳すのが適切なこともある。愛することの解釈が一つに収まりにくいのと同じように、日本語と韓国語の表現の違いも一言に翻訳しきれない。韓国語で「私が好き?(내가 좋아?)」という質問に「好き(좋아)」と返すと、「しやすい(하기 좋다)」「見ごたえがある/見てほほえましい(보기 좋다)」という時のように「無難な」答えとしても受取れる。また、(韓国語から直訳された表現の)「私を愛してる?」という聞き方よりも、日本語では「私のこと」、つまり「私ということ」を愛しているかと聞く。相手が好いてくれている自分、その自分を成すものにはどんなものが含まれていて、私はそれを知ることができるのだろうか。もしかしたら無難だから、一緒に過ごしやすいのか。それとも、ただどうでもよいのか。愛が向かう相手だけでなく、究極的に愛は、自分自身に対する質問へと返ってくる。

愛、それは私が自分を相手に表現し、一つになろうとする過程だ。しかし、その過程はあくまでも過程であり、決定的ではない。本展のタイトル「Tilt up for the love shot」とは、二つの意味として考えられる。ラブシーンを撮るために下から上へカメラを構える(=ティルトアップ)こと、それとプロポーズ(=ラブショット)のためにグラスを傾けるとして解釈できる。ジン・ヨウルは絵画が愛を描く際にどのように描け、また描けないのか考えながら、制作を続けている。作品に登場するバラや蝋燭のモチーフは意味が固定された象徴や比喩ではなく、内部と外部、そしてその間で表現しようとする身振りの出発点だ。愛は「シーン(場面)」として捉えられるのか、それとも「プロポーズ」のように期待と不安に満ちているのか。絵画という表面と枠の中に、愛は収められるのか。収められたなら、対象化されて愛という動詞ではなく、愛する「もの」という名詞になってしまわないか。だからといって、内に秘めた気持ちも現すことがなければ、相手に捉えてもらえないだろう。愛を表現すること——愛していると表現すること、気持ちとして露にしないこと、表現がパターン化されて愛から遠ざかってしまうこと。本展は、愛の捉えづらさと捉えやすさを絵画に、そして暮らしの営みの中で考えることにつながるだろう——そのような「一撃(ショット)」として。

紺野優希


展示の様子

ジン・ヨウル Jin Yeowool 진여울

Group Exhibiton

2021 '女が5人集まれば皿がわれる', BUoY, Tokyo, Japan

2020 'Joint Graduation Exhibition of 5 Art University in Tokyo', The National Art Center, Tokyo, Japan

2020 'Graduation show', Tama Art University, Tokyo, Japan

2019 ‘ghost madeleines ゴースト マドレーヌズ’, Pocke, Tokyo, Japan

2018 ‘over chilling talk two オーバーなチルトーク 2’, Tama Art University, Tokyo, Japan

2017 ‘Repression/Expression/Impression’, Azabujuban Gallery, Tokyo, Japan

2017 ‘over chilling talk オーバーなチルトーク’, Tama Art University,, Tokyo, Japan

2016 '日常展’, Tama Art University, Tokyo, Japan

Participate

2020 Participate 'Shift Operation : Tokyo Workflow' project, Cave-Ayumi Gallery, Tokyo, Japan

Education

2021 Hong Ik University (Graduate school), Spatial Design [Master's degree] (Seoul, Korea)

2020 Tama Art University, Oil Painting [Bachelor's degree] (Tokyo, Japan)

2013 Duksung Women’s University, Interior Design [Bachelor's degree] (Seoul, Korea)

Research

“A study on the transformation of places in the field of power and site-construction on art: 미술의 권력장 및 공간의 위상구축에 있어서 장소의 변용에 관한 연구”, 홍익대학교 대학원 석사학위논문, 2021

"A Study on the Transformation of Places in the Field of Power and the Site-Construction on Art - Based on P. Bourdieu’s Field Theory-", Journal of the Korea Institute of Spatial Design. Vol.14 No.6, 2019

“미술의 권력장 및 공간의 위상구축에 있어서 장소변용에 관한 연구-피에르 부르디외의 장이론을 중심으로-”, 한국공간디자인학회 저널 Vol.14 No.6 통권 60호, 2019

Grant

2021 Grant from Kawamura Arts and Cultural Foundation, Japan 一般財団法人川村文化芸術振興財団 「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」支援助成 - ひととひと「女が5人集まれば 皿も割れる」

2021 Grant from Arts Council Tokyo, Japan 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京, 2021年度一般財団法人川村文化芸術振興財団ソーシャリー・ エンゲージド・アート支援助成 - ひととひと

Award

2020 Won the FUKUZAWA Ichiro Award, FUKUZAWA Ichiro Memorial Museum (Setagaya, Tokyo)

2012 KIID (Korean Institute of Interior Design), KIID Space Design Award Contest

2011 KOSKOA (Korea Space Coordination Association), Korea Space Coordination Award

Association

Member of Hitotohito Collective (Tokyo, Japan) Member of KISD (Korea Institute of Spatial Design)

Career

2015 Researcher of Exhibition Plan, Children Curture Center in Asia Cuture Center 2013 -

2015 Teaching Assistantship of Hongik University


紺野優希

韓国と日本で美術展を見て、文章を書いている人。「平べったさそのもの(ではなく)について:「頭痛」が「痛い」のとは異なり」『계간시청각 3호』(2019), 「ホットプレイスの温度」『한편 8호콘텐츠』(민음사, 2022)등이있다. 『アフター・10.12』(Audio Visual Pavilion, 2018), 『韓国画と東洋画と』(gallery TOWED, FINCH ARTS, Junggangjijeom II, 2022)を企画。サポート・共同企画した展示として、ソウル・フォトフェスティバル『멋진신세계』特別企画展『Walking, Jumping, Speaking, Writing. 境界を、ソウルを、世界を、次元を. 경계를, 시간을, 세계를, 차원을. 신체는, 링크는, 언어는, 형태는.』(SeMA Storage, 2018)ほか多数。「私たちは未だに離れているが故に、虚しく感じられる:ソン・ミンジョン <Caroline, Drift train>における災難の状況と破綻したリアルタイム」でGRAVITY EFFECT 2019次席。


新型コロナウイルス感染拡大防止対策について ご来場の際には、以下の点についてご協力をお願いしております。

● 展示室内の密集を避けるため、入場制限を行う場合がございます。

● 発熱、せき等の症状がある方はご来場をお控えください。

● マスクの着用と会場に設置の消毒液のご利用をお願いいたします。

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